仕事中に聞いていたら、ほろりと来てしまった。
←ニーナ・シモン(発音的にはシモーヌが正しいらしい)。'03年4月21没。
ニーナ・シモンを知ったのはまだ荻窪に住んでいる頃。当時友達Y(脚本家)が大学時代の同窓Aと共同で始めたバーを手伝っていた頃だった。その店は日の出街と言う駅前の飲み屋街に位置していて、2階はキャバクラ、隣は怪しい会員制クラブと言う立地。地下1階の目立たない場所でひっそりと営業していた。元々、Aが病気で亡くなった奥さんの保険金が入ったものの途方に暮れて何も手に付かない、と言う事だったので、じゃあどうせ泡銭、店でもやってAが元気になればそれも良しだろう、って事でYが始めた店だ。それぞれが仕事を持ち、素人の集まりでまあ赤字にならない程度にやって行ければ良かった。
その店で唯一の売りと言えば、水槽を入れてクラゲを飼っている事だった(YはうちのNo.1ホステスと称していた)。僕は日曜日のみの担当で、夕方店に入ってクラゲに餌(一緒に飼育したブラインシュリンプ)をやり、酔っ払いの相手をし、自分も程々に酔い、朝4時に看板を下ろして、もう一度クラゲに餌を与え、店を閉める。平日は客として飲みに来る。ギャラは飲み代で精算だ。客層は様々。キャバクラ待ちの時間潰しのサラリーマンや、その当のキャバ譲が終わって一息つきに来たり、カップルや、地回りのヤクザ、日の出街の古くからの飲み屋の店主が偵察に来たり、地元のフリーター、酒屋の配達、コーヒー豆屋、版画家、アーティスト崩れ、そして京都からやって来たミュージシャン連中・・・そんな感じだ。
その京都からやって来たベーシスト、今福さんが持ってきたのがニーナ・シモンだった。確か初めて聞いたのは『Nina Simon & Piano ! 』だったと思う。最初聞いた時は女性ボーカルだと思ってなかった。当時聴いていたのはソウル系ばかりで、ジャズ系の黒人女性ボーカリストに縁がなかったからかも知れない。客も酔いが回って口数が少なくなり、ただただ目の前で漂っているクラゲを見ながら聴く「Everyone's Gone to the Moon」や「The Desperate Ones」は、その店の吹き曝しの天井のダクトの間をこだまして、なんともそのまま逝っちゃいそうな・・・いい感じだった。
結局その店は段々と皆が忙しくなり、閉めざるを得なくなった。今にして思えば20台後半〜30才台前半のあの時期、同年代の仕事もそれなりにこなし、けれど何かが足りない思いを抱えた連中があそこに屯して、モラトリアムでもない満たされない何かを共有していたのかも知れない。青年期を過ぎ中年にさしかかった今、CDから流れるニーナ・シモンの歌声はまったくあの時と同じだ。けれど染み入ってくる何かは違う。今では郷愁も重なり、当時の事を色々と思い出してしまう。自分がデザインして出来上がった店の仕上がりが気に入らず、文句を言っていたYの事、ニーヴァルカアクアビットのジンジャエール割の味、ほぼ毎日帰りに食べたCoCo一番カレーの味、ちょっと頭のネジが外れていた女の子の事、初めて監督を任された時の事、クラゲの飼育がうまく行かず、しょっちゅうまだ開発途中だった寒空の有明に網を抱えて取りに行った事、身体障害者特典であちこちの企業に優遇採用されながら、そんな自分を少し蔑んでいた死んでしまったTの事、カウンターマジックで仲良くなった女の子の事・・・エトセトラエトセトラ・・・。そんな事を思い出し、少し泣けてしまった。
今年の春、ニーナ・シモンの訃報(ご冥福をお祈りします)を聞いた時は残念では有った物の、それほど深い悲しみはなく、むしろ一昨年亡くなったトーベ・ヤンソン(彼女の事はいずれ書くつもり...)の方が衝撃は大きかった。それは音楽と言う生っぽさが今でも彼女がそこに存在しているかのように感じられ、にわかには実感として伝わってこなかったのかも知れない。今回この記事を書こうと公式ページを覗いていて、中でも自分の好きなアルバムのほとんどがRCA時代の物と知った。興味を持たれた方はぜひ、この辺から聴いてみて下さい。
取り敢えず、一押しはこちら↓
ニーナとピアノ+4
Posted by at 03:52
▼1年前はこんなこと書いてました...▼