DVDを予約注文までして買っておいたのにずっと観れないでいたのですが、漸く観ることが出来ました。
ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉 不安から逃れる為に常に何かを決断する事で人生を推し進めてきた男、幼少期に虐待を受けたトラウマから人間不信に陥り、最後までその穴から抜けられなかった男、仕事に没頭する事で自分の中の謂れ無き罪の意識を心の奥底に押し込んできた男、3人の男、そしてその妻達、彼らを育む街が織りなす人間ドラマをクリント・イーストウッドが見事に演出している。良い脚本と役者とロケーションが有れば映画は成立するのだ、と言うのをつくづく痛感させられた一本。そしていかにも役者が演出した映画でもあり、映画の持っている力とはかくあるべき、と改めて思い知らされた。
この映画には派手な特撮もアクションシーンも、際立って目を引くモンタージュもない。もちろん観客の目を引くサスペンシフルな筋立ては有るけれど、基本的には抜群に巧い役者達がただそこにいて、悩み苦しみながら人生を歩んでいる姿が映し出されるだけ。そしてカメラは彼らの演じる人生をしっかりと逃す事なく記録しようと回っている。人を描いた映画は本来こう有るべきだ。決して冗長にならず、伝えようとするのはただ役者達を通した画面の中の人々の営みだけ。だからこそ観客は自分の事のように振り返り、考え、想像する。常々、映像演出の肝は「隠す」事だと思っている。しかしこの映画は隠すどころか、最初から触れられない事には触れられない、或いは心の襞などたった2時間半では語り切る事など出来ない、とでも言うように表面に現れる事象だけを淡々と綴る。そこに魂が感じられるなら観客は必ず「想像」する、と言うことを信じているかのように。有る意味、イーストウッドは性善説を信奉しているのかもしれない。そう思わせるほど、この映画は観客に「投げっぱなし」だ。そして、説明過多で分かり易い事が求められている今の時代だからこそ、かもしれないが、その「投げっぱなし」ぶりが(少なくとも僕には)心地良い。
僕の敬愛する(誰がなんと言おうと)アメリカを代表する映画監督にジョン・カサヴェテス(代表作:「こわれゆく女 」「グロリア 」)。彼の演出がまさにそれであった。しかし、カサヴェテスでさえ自主映画に近い製作体制からなのか、或いは自らカメラを抱えた為なのか、独特のシャープな画角とモンタージュを持っている。それはそれでとても魅力的なのだが、ミスティック・リバーはそれすらも削ぎ落として、さらにシンプルにした感じだった。有る意味歳を経た俳優の余裕のような物が感じられた。
余談になるが、ジミー役のショーン・ペンはカサヴェテスの演劇私塾に通い詰めていた事が有ると言う。カサヴェテスの死後、彼の作品化されていなかった「She's So Lovely」(DVDは絶版?捜したけれど見つからず...)の脚本を買い取り、妻(ロビン・ライト・ペン)を相手役に自ら出資、主演、共演者のジョン・トラボルタにまで出資させ、とまるでジョン・カサヴェテスさながらの製作体制の元、息子のニック・カサヴェテスにメガホンを取らせ、1997年に映画化した。
ショーン・ペンの話が出たついでに対比すると、彼の初監督作品「インディアン・ランナー 」は片田舎を舞台に兄弟、家族の確執を描いた本作と構造の似た作品だった。しかし「インディアン・ランナー」はやり直しの効かない魂を抱えた男をそのまま提示して見せたが、本作では「人生にやり直しは効くのだ」(或いは「やり直しの連続」だ)と言う事を暗に提示しているように思われた。そのイーストウッドの最後まで人間を諦め切れない、愛情、優しさ、みたいな物がどこかでこの作品を本当のどん底には落とし切らず、救っていたように思う。
Posted by at 18:09
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