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2006年07月20日 (木)

CategoryImageなんだかんだ言っても観たくなってきた。

なにがって?「ゲド戦記」ですよ。以前、こんな茶化すようなエントリを書いたけど、未知であるが故に期待もあったり。加えてあまりの不評ぶりにさらに希望が……。


観てないから何とも言えないけど、観る前に気になっている事を二つほど書いておく事にする。

エンタテイメントになってないから、とか、木戸銭取ってんだから2時間楽しませろ、とか言う論理での(客としてのクレームとしては理解するけど)作品批判は勘違いも甚だしい。そもそも映画なんてモノは、メディアの中で最も「極私的」なモノを製作する事を許されるメディアなのだ。騙される方が悪い。いや、それ以前に試写の段階での批評な訳だから、それで客足が鈍るならそれもまた因果と言う事か。
寧ろ皆さんがタダだと思って観ているテレビなぞは、枠内のCMを提供している企業の商品に含まれた広告費で製作されているわけで、間接的に木戸銭を徴収されており、純粋に制作物に対して対価を要求される映画やDVDパッケージなんかよりも、はるかに「売れる事」すなわちエンタテイメントで、誰にでも口当たりが良い事を求められている。
ただまあ、昨今の製作委員会制の中で製作されているテレビアニメ(と言う言い方そのものに既に語弊があるが)は、スポンサー兼パッケージ版元及び、それ目当ての出資者だったりもするわけで、事情はその他のテレビ番組とは若干異なるけれど。

但し、親子で見る作品じゃない、と言う批判は的を得ている。ジブリが今まで生み出してきたブランドイメージを否定しない、その宣伝戦略全般を見る限りに於て正しい指摘だと思う。

で、もう一つ、作品内容について。
監督の宮崎吾朗氏が駿氏の息子だからと言うファクターは、寧ろこの映画の色(及び主題)にどんな影(良い意味での暗部)をもたらしているかを観た方が良いと思う。恥ずかしながら原作は未読だが、駿氏があれだけあちこちで「映画にしたい」と公言しておきながら、結局なし得ず、素人監督である息子の吾朗氏が曲がりなりにも作り上げる事が出来たのは、原作者からの許可が下りなかった、と言う以外にきっちりとした理由があるんだと思う。後継者育成とか言う単純な話ではなく、希代の山師である所の鈴木敏夫Pが、吾朗氏“だからこそ”行けると思った理由が。
ル=グウィン氏と駿氏とのやりとりを読む限り、そう思えた。
エンタテイナーであるからこそ「作れない」「首を突っ込んじゃいけない」作品なんて山ほどあるし、特に映画なんて、その時の監督のメンタリティが企画に合ってるかどうかは重要なファクターだ。

僕個人について言えば、題材が何であれジブリ的なエンタテイメント作品になど食指は動きようがなく、それを期待した観客にとって不評である所にこそ、期待する。さらに言えば、それをジブリ自らがやっている事に。ドロドロの親子の確執の影(だったり元共産党員の憂鬱だったりw)をこの映画に見たい。

Posted by at 02:23


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